かつて絶対の幸福を求道しカルト教団に堕ちた、ある起業家の告白。
お恥ずかしながら、起業してから何一つ己を語らぬまま、もう4年が経ちました。
起業家として世に出て、年収1000万を初年度で突破し、翌年度以降も安定して稼ぎ続けながらも、こうして「プロフィール」という形で自分の半生を表に語ることは、これまでありませんでした。
裏を返せば、私はこれまで、そういう「人間味」や「個性」や「顔」を表に出すことなく、SNS上の起業家たちにならったきらびやかな私生活のブランディングもせずに、いわば【ビジネス戦略】と【マーケティング】と【文章】の3つの「技術」だけで、画像に示したような「数字」を淡々と粛々と、頭脳労働と手作業のみで稼ぎ出してきたことになります。
(私のように、ネットを使えば、PC一台でビジネスを完結させることも容易になります)
例えば、こういう「いかにも」な画像達…旅行にいった海外の数々のリゾートの景色、買った数多くのブランド高級品、最新の生活家電、舌がうなるほど美味しいグルメ…
こういう私生活の画像も、決してネットにアップすることもなく、ただ、起業して手に入れた自分だけの幸せな思い出として、ひっそりと溜めるだけでした。
起業家としての私は、そう、あまりにも「地味」に徹底していました。
目立たぬよう、知られぬよう、無名なままで潜伏し、ひっそりと稼ぎ、そして「稼がせて」きました。
なので、100人以上いる生徒達の中でも親しくなった、年収1000万を超える生徒にすらも、これから話す「過去」を明かしたことはありませんでした。
この「過去」を明かすことには、色々な意味での「リスク」があります。
まず、この過去を聞いて、私のことを「信頼できるまともな人間」だと認めてくださる方はいなくなります。
私は、学歴的にも経歴的にも、「社会的に優等生」と呼べるタイプの人間ではないからです。
むしろ、その対極に位置する「落ちこぼれ」の「はみ出し者」と言ってもいいでしょう。
(故に、あなたが私に不信感を抱くとしても、それは実に正常な感覚だと思います笑)
したがって、商業的な意味では、この文章をこうして「プロフィール」という形で掲載するメリットはありません。
さらにいえば、「あなたの現実的成功」にとっても、私の過去など「どうでもいい」。
あなたの興味の対象があるとすれば
「なぜ、こいつはわずか初年度で年収1000万超に行ったのか?」
「安定して稼ぎ続けるために、どういう手段を用いたのか?」
「0から持続可能な経済的自由を一年で手に入れたと名乗るお前はどんな人間なんだ?」
という疑問です。
そして何よりもあなたにとって重要なのは
「どうすれば自分も持続可能な成功を手にすることができるのか?」
「どうすれば自分はビジネスで結果を出すことができるのか?」
「顔出しもせず、PC一台で稼ぐ現実的な手段とは何なのか?」
ということです。
そして、これからまさに私は、「私のどうでもいい過去」を題材に語りながら、多少の経済的自由を含む「持続可能な幸福」を達成できた「理由」と「手段」を紐解き、明らかにしていこうと思うのです。
そしてそのエッセンスを混じりけなく純度100%で伝えるために、商業的な利害も捨てて、初めて私の「過去の物語」を明かします。
冒頭のように、実際に達成してきたビジネスの実績の画像なども交えながら、お話を進めます。
とはいえ、所詮は画像にすぎません。
あなたにとって一番信頼に足るのは、こうして私の文章を読みつつ、書き手である私の「思考レベル」や「人格」を見抜く、あなたの判断力にほかなりません。
なので私の達成してきた経済的自由が「本物」か「偽物」かはあなたの眼で、私のこの文章を読みながら、ご判断頂ければと思います。
「稼いでるフリして稼ぐことしかできないエセ起業家」みたいに、ハンパなことは言いません。
私の実力の真偽は、あなたご自身の目でご判断ください。
それでは、本題です。
遡るのは、起業した、4年前の4月。
それは、僕がある教団から、千人以上の信者を指導していた聖職者の地位を捨てて、飛び出した日と一致します。
ほとぼりが冷めたであろう今、ようやく僕の「プロフィール」を語ろうと思います。
そして、僕の物語を通じて伝えたいことがあります。
僕の成功のルーツについて。
「成功し続ける」成功者になるためには何が必要なのか?について。
あなたが「持続可能な成功」を再現する手段、そして指針について。
僕が0から開始一年で年収1000万円を超えられたのは、カルト教団の中で、人生の中で最上にして最低の絶望を味わったからでした。
そして、その絶望の虚空、社会の枠からはみ出すほどに低い、そんな真っ暗闇の中だったからこそ、僕は「幸せになりたい」と言う激烈な上方衝動を得ることができました。
「幸福への希望」
それは僕にとっては、水深1万メートルの深海のような暗黒の中で、ただ一つ見続けた光でした。
その太陽よりも眩しくマグマよりも熱い衝動を、僕はビジネスにぶつけた。
だから、同時期に始めた周りの人の何倍速かで成功できたことも、驚くには値しません。
僕のなかには絶対に成功しないといけないという「覚悟の光」があったからです。
その「光」のおかげで、僕のような凡庸な人間でも、人並み以上の成功を収め、かつ、幸せが積み重ねられていくような、今のかけがえのない毎日を手に入れることができました。
これから、その「光」の話をします。
改めて、永世豊(ながせゆたか)と言います。
これから語るのは、頭のネジが二・三本飛んでる、ユニークな僕の人生の物語と、千人単位の人と出会う中で気づいた「豊かに生きる秘訣」についてです。
僕の経歴を人に語ると、かなり驚かれます。
・大学の哲学科で幸福論を研究し、三日で校了した論文は最高評価
・カルト教団の元聖職者
・最年少で教団幹部組織のメンバー入り
・組織の内外で人生総合カウンセラーとして1000人超の人生相談に乗る
・フリーランスブロガーとして立ち上げ2ヶ月で100万PV達成、独立
・起業1年で年収1000万円突破。
・個人がネットで稼ぐためのビジネスコーチとして年収一千万プレーヤーを輩出する
と、なかなか独特な経歴を持っています。
ただ、右から左、上から下まで往復するような経歴を辿った僕の中には、たった一つの理由がありました。
僕は、幸せになりたかったのです。
なりたかった、と言う言葉に秘めている通り、かつての僕は幸せがわからなかった。
そんな、極めて不完全な人間でした。
そんな僕が「気付けた」ことを、これから「起業論」と言うテーマに交えながらお話しさせていただきます。
実は僕は今、病院のベッドの上で、このお話を書いています。
入院してからすでに7日絶食しており、かなり辛いものがあります。
でも「このお話を、この世に書き残すまでは、自分は死ねない」と言う声が心の中にあります。
こういう意識の時こそ、一番人を動かすエネルギーのある言葉が生まれることを、私は何百回にもわたる人生相談の経験の中から知っています。
さらに、こういう時というのは、絶対に体が寝かせてくれないことも知っています笑
だからお付き合いください。
あなたの心の奥底、深く深くに眠っている宝物のように大切なものを、ほんの少しでも、動かし、揺さぶる自信があります。
長い人生の中で、僕たちはたくさんの「言葉」と出逢います。
ただ、その中でも、人生に影響を与える言葉は一握りの特別な言葉ではないかと思うのです。
そして、約束します。
この先に待っているのは、そんな、人生を揺さぶる「特別な言葉」であることを。
耳を傾け、これから始まる私の語りをお聞きください。
よければお手元にコーヒーか紅茶などをご用意し、リラックスしながらご覧ください。
それでは、お話しましょうか。 |
精神的豊かさと物質的豊かさを両立させる、「自覚度を上げる」活動家
現在の僕は「資産型ビジネスライフコーチ」というテーマで、起業志向の個人の方向けに、起業論を指導する活動を行なっています。
自分自身、ビジネス初年度で年収一千万を達成し、生徒の方から年収一千万のプレーヤーを輩出しながら、その指導の中で「結果を出して成功し、人生を変えるには何が必要なのか」という問いとずっと向き合ってきました。
「結果を出すこと」は、僕たちが「幸せになる力」と部分的に一致します。
・学歴を得ること
・仕事を得ること
・お金を稼ぐこと
・パートナーを見つけること
・生活を守ること
つまり、現実世界で僕たちが幸せになるために「結果を出すこと」は避けては通れない命題です。
では、「結果を出せる側」になるには何が必要なのか?
その答えを、これから僕の物語を通じて語りたいと思います。
結論から言えば、「自分を知り、気づき、自覚すること」によって、自分の人生は根底から本質的に変わるということを、これから話したいのです。
この起業論を通じて、僕は「自覚という光」こそが人生を変えると、あなたに伝えたい。
「自覚度を高める」とは?
「自覚」を深めること、強めること。
これを僕は「自覚度を高める」という言葉で表現しています。
初耳なのも無理はありません。
というのも、僕が生み出した言葉だからです。
でも、20年後は共通語になるでしょう。
30年後には、広辞苑に乗るかもしれません。
なぜなら、この「自覚度」という言葉は、停滞する人生を一変させる可能性を秘めた、強力な言葉だからです。
まさに僕は、「自覚度を高める」という事によって、30歳を超えた程度の「若輩者」の割には、人並外れてたくさんの「人生の激変」を経験してきました。
その変化とは、例えば…
・病院長の長男に生まれていながら、医者にしたいという親の意向を無視し、大学では哲学科に進学し、3日で書いた卒論で最高評価を取る。
・国際的テロ宗教団体に入り、8年間の瞑想修行生活を送り、精神世界で数々の神秘体験をする。
・人生カウンセラーとして、ほぼ毎日1日2〜4件人との相談に対応し、累計500人以上の人生相談に乗る。
・自殺未遂したり発狂しかけながらも教団の洗脳を解き、教団のPCでバレずにブログで起業し、4ヶ月で300万稼ぎ、教団から脱出する。
・ビジネスを初めて一年で千人のファンを集め、年収一千万を超える。
・ビジネスで成功したい人を集め、0から年収一千万プレイヤーを育てる。
・27年彼女なしの状態から、2週間ぶっつづけで異性とデートし続け、複数の異性の中から最愛の彼女を選ぶ。
・平均一日2時間の仕事で自動収入を得つつ、彼女と同棲し、国内・海外を旅して遊び回った結果、逆に人生の楽しみを見失う。
・瀕死となり緊急入院の体験を通じて、自分の人生を再発見。人が生まれ、死ぬまでの「意味」を自覚し、現在の仕事に目覚める。
…と、年長の方にも驚かれるほど、ある意味ドラマティックな人生を歩んできました。
良くも悪くも振り幅の大きすぎる人生だったと思います。
その人生の中で、数多くの人の人生に関わる機会を頂けました。
目の前にいる相手の人生のステージを高めるという使命に対して、僕は青春の全てを捧げて生きてきました。
その結果、ビジネスでの成果を出せるように導いた、という数字の結果のみならず、「永世さんのおかげで今の自分があります」という言葉を数多くいただきます。
(ちょっと親身な性格のせいか、相談に乗った方から「神ですか?」「仏みたいですね」などと言われたことは10回以上あります。もちろん光栄を通り越して過大評価ですが笑)
人生を変えたいのなら、やることは一つです
「人生を変えたい」
「新しい生き方をしたい」
「もっと幸せになりたい」
そう思っている人にとって、「自覚度をあげる」ことは、極めて大切な心のプロセスになります。
僕も自覚度を上げた結果、先述の通り、とんでもない人生の変化を経験してきました。
こんな変人の経歴を見ても、真似したいと思う人はいないと思います笑
ただ、私が語りたいのは、なぜ自分から主体的に新しい世界飛び込み、その激動の変化をチャンスとして成り上がることができたのか、ということです。
その人生を変えるエネルギーは、まさに私が「自覚」と呼ぶ行為から湧き出てくるエネルギーです。
その自覚を強める(自覚度を上げる)ことが、何よりも重要だと私は言いたいのです。
私は、人々の自覚度を上げ、多くの人の人生を変えてきました。
(その変化の方向性を整えることで、人の幸福度は劇的に上がります)
僕は、この「自覚度を高める」ことが、新たな人生の扉を開く鍵であるということを、自分自身の経験や、数えきれない人生と関わった経験から確信しています。
そして、その「自覚度を上げる」ことで人は本当に変われること、幸せになれるということを、僕自身の成長と、関わる人々の進化を通じて証明し、広めていきたいと思っています。
そういった思いをベースに、僕は現在、ビジネスやライフスタイルを改善するコーチとして活動する先に「関わる方々の自覚度を上げて、自覚度100%で生きている仲間達を増やし、この地上を天国に感じるほど、人生の幸せを謳歌するコミュニティ」を作りたい、という目的のために活動しています。
そして、後ほどより詳しく、この「自覚度を上げる」ということの意味を、具体的にお話しします。
さて、ここまでが前置きです。
ここからは、私の過去について話させていただきます。
自分を見失い、彷徨い続けた青春の果てが、カルト教団でした
自覚度を高めることによってその人の潜在的な能力を引き出し、「成果を出せる状態」に導くこと。
私は、このテーマに沿って人生を生きてきました。
まさに私こそ、この「自覚度の高い人生」に憧れながら、それを実現する方法を誰よりも探し求めてきた人間です。
「何者かになりたい」
「人生を賭けてもいいと思えるくらい大切な、何かをしたい」
「毎日を情熱的に生きている人々に対して、強烈に憧れてしまう」
「心の底から、今死んでもいいと思えるくらい、人生を楽しんでみたい」
そんな私の希求は、止む事がありませんでした。
世間的には開業医の長男ということで、経済的には満たされてはいた方だと思います。
ですが、私は自分を認めることは決してできませんでした。
「自分は、夢中になれる何かを見つけられていない」
「こんな自分のままで、笑って死ねるものか」
じゃあ、「本当の自分」ってなんなのだろう。
そんな自分探しの旅の中、僕は大学の哲学科に入り、数多くの文献を読み漁りました。
やがて、こう想うようになりました。
それを見つけ出す鍵は、もしかして心の中…精神世界の探求にあるのではないか。
ならば、その精神世界を探究する、具体的な修行法や、瞑想法を知り、実践し、真の自分を見つけ出したい。
イエスキリストや仏陀も通ってきた、精神世界の探求の道を、自分も歩みたい。
そんな思いから、当時大学生だった私は、ある人の縁から修行という世界を知り、東洋思想をベースにした、ある宗教教団に入信しました。
その宗教教団は、以前大きな事件を起こした、悪名の高い団体でした。
特定の団体名をこの場で明かすことはしませんが、あなたの中で、「日本史上最悪の宗教団体」をイメージしていただければと思います。
(ちなみに、反社会的な思想や活動に賛同していたわけではありません。むしろ、反社会的活動の兆候があれば、スパイとして証拠を集めて未然に阻止するために動こう、という決意と自分なりの正義感の上で入信しました)
ただ、結果として、私は8年間、その教団に青春を捧げることとなりました。
第二話に続きます。