こちらの記事の続きとなります。

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生き方を見失った、千人以上の信者を導く聖職者としての日々

19 8 - 人心掌握と権力闘争の日々

私は、修行を重ね、数多くの霊的・神秘的な体験を経験するようになりました。

また、俗にいう、「超能力」的な現象も経験しました。

集中力アップはもとより、未来予知や、目の前の相手の心情、或いは身体的痛みまでピタリと言い当てるということができるようになりました。

(今では、そういう力は日常的には使えません。でも、本当に深刻な悩みに対峙する特別な時にだけ、その力が使えることもあります)

また、生命の限界に挑むような極限的修行後、その瞑想中に、「光の宇宙」としか言えない意識空間に飛び込み、そこで生存欲求から解放された意識状態を経験しました。

それはまさに、あらゆる肉体的苦痛から解放された意識でした。

一切の壁も天井もない、無限に拓かれ、全てがつながる、光に満たされた世界。
そこでは私は光の粒子で構成された身体を有し、空間に飛び交う光粒子のシャワーが体に当たるたびに、その一粒ごとに内的な至福の歓喜が生ずる。
解き放たれ、一切の無制限・無境界の、永遠とも思える世界。

一度経験した以上、私はいつでもその感覚を、時を越えていつでも思い出すことが出来ます。

想像を絶するストレスゼロの世界であり、何一つ苦痛のない、完全なる自由と幸福の精神でした。

その時の私の脳を測定するなら、非日常的なほどに膨大なアドレナリンやエンドルフィンなどが出ていたことでしょう。

僕は、そういう実体験を経て、教団に対する確信を深めていくことになりました。

様々に過酷な、人体の限界に挑戦するかのような修行がありました。

もともと僕の大きなコンプレックスだった、疲れやすく虚弱体質という弱点も、厳しい修行を経て、かなり改善することができました。

こういう様々なメリットと自己変革を経験するうち、僕はこの教団の教えは真実なんじゃないかと錯覚するようになっていきます。

(今思えば、教団は実に完成度の高い洗脳の仕組みが用意されています)

そして僕は、カウンセラー兼教団の勧誘員として任じられ、活動することになります。

カウンセリングから勧誘に導くコツを掴むのは、結構簡単でした。

また教団の組織運営のマネジメントなども吸収し、すぐに布教活動を率いるリーダー格になりました。

また、教団の内外問わず、数多くの人生相談の現場を経験しました。

その中で、自分自身の修行体験や意識体験の気づきや悟りをベースに、心理学や脳科学の知識なども取り入れながら、人の心を動かすべく、自分独自の技術やコーチングの体系を作っていきました。

やがて、私は教団における「聖職者」の身分となり、宗教生活に完全に身を投じます。

そのまま最年少で、幹部組織に抜擢。

そして、全国千人以上のイベントを取り仕切ったり、若手の中でもイレギュラーな存在として扱われていました。

私を慕ってくれる方も多く、承認欲求も満たされていました。

また、強い権限のある立場だったため、指図されることなく、非常に自由に時間を使うことができる立場でした。

その時間を利用して、僕は、マネジメントやコーチング、心理学やコピーライティング、宗教学に自己啓発と、思いつく限りのありとあらゆる自己研鑽をすることができました。

そして、そうして高めた「人の心を動かす力」で、より多くの勧誘に成功しました。

ステップメールやプラットフォーム、自動返信…ネットツールを使った自動布教マシーンの開発秘話

3 - 人心掌握と権力闘争の日々

人をより集める、効果的で効率の良い方法はないだろうか。

そんな課題の答えをWeb上に探していた時、僕はネットビジネスという世界を知ります。

Webマーケティングやコピーライティング。

Webの「情報」を通じて、人の行動を促す技術が存在していることを知りました。

「まさに、これからの時代、人を動かすにはこれだ」

僕はそう確信し、優秀な精鋭信者を集めた特別チームを編成して、インターネットでの勧誘活動を体系化し、勧誘に取り入れました。

Webマーケティングを学び、インターネットの仕組みを使い、あるプラットフォームをジャックすることで、ネット上から自動的に入信者を集める仕組みを作り上げたのです。

さらに、ステップメールやメールマガジンなどのネットビジネスの仕組み化も取り入れることで、「最小限の人数とチーム」で、100人単位を超える布教対象者へのアプローチを同時並行しておりました。

(当時の人間がこの記述を見れば、私を特定することは容易いでしょう)

その仕組みを全国の支部に普及させて、一時期日本全国単位で入信数を激増させたことで、国家機関から徹底的にマークされました。

全国からその仕組みを求める声が殺到したので、僕は日本全国の支部を回りながら、僕が作り上げた勧誘の洗脳スクリプト(台本)をセミナーという形式で指導し、ネット上で集客するの仕組みを構築することに東西奔走していました。

多くの人から必要とされ、能力を認められ、活躍する。

そんな日々に、途方もなく充実感を感じていました。

最低限の衣食住に加えて、地位も名声も約束されていました。

生き方を見失い、この社会に馴染めなかった多くの人のために、自ら修行し精神性を高め、人の幸福に貢献する生き方。

そんな生き方を貫く僕は、時に相談相手から「神様ですか?」とか「仏みたいですね」あるいは「あなたは救世主でした」と称されることもありました。

これこそ、まさに僕の望んだ生き方じゃないか。

自分も人も幸せにできる一つの教え。

これを広めていけばみんなが幸せになれる。

その、はずでした。

人の心を支配する力。それが、嫌になりました

24 4 - 人心掌握と権力闘争の日々

今から冷静に当時を振り返っても、教団の教えやそこで経験できる変性意識状態には、凄まじいインパクトがあったことは、否めません。

(とはいえ、脳科学ベースに再現することは可能な内容なのですが)

実際、一般人を信者化していくその教団の仕組みとは、東大生などの超高学歴エリートや、学会で受賞するような権威のある人間が信者になり作り上げた、いわば洗脳の集合知でした。

ある意味、人生を変えるだけの威力は、あると言わざるを得ません。

が、私は、その教団に入ることを決して、今後誰にも勧めることはないでしょう。

なぜなら、私はその教団に対して、無視できない違和感・拒絶感を感じていたからです。

その違和感こそが、僕が8年の洗脳を解き、脱出を決意する理由でした。

私は幹部組織に入るにつれ、重役や責任を背負い、部下を抱えて布教活動を指導する立場になりました。

そういう立場になると、どうしても個人の理念より、組織の利益を優先しないといけない局面が数多くあります。

教団を支援する活動に対して、信者の労力を割かせるには?

信者の財産を、教団に捧げさせるには?

信者の心の穴を見つけ、教団に依存し、離れなくさせるには?

信者の信仰心を積極的にさせ、教団に身も心も捧げさせるようにするには?

こういった「教団の都合」に基づく問いに次々回答を用意し、実行し、解決するのが僕の仕事でした。

そんな、組織の論理に従い、そこで能力を振るい、人を説得し、組織を率いる日々の中、心の奥底から声が聞こえました。

「何か、違う」

そう思い始めました。

「偽りの神様」を卒業した日

19 6 - 人心掌握と権力闘争の日々

殉じてもいいと思うほどに信仰を捧げてきた、神聖な教団。

その地位を異例の速度で上るプロセスの中で、やがて、教団という仕組みの運動が、どんどんグロテスクな、計算と権力と利得の渦としか見えなくなってしまったのです。

策謀や根回し、権力闘争に満ちた、醜い人間臭さのある世界でした。

もはや教祖も逮捕されて教団内にはいないのに、残された教団のシステムと信者がまるで、ロボットのように、人々のリソースを吸い上げ続ける、暴走した自動機関。

実際、教団の上層部が裕福な暮らしをしているのをみたあたりから、僕の信仰心は揺らぎました。

いやだ、と思いました。

本当にやりたかったことって、これなのか?

本当に、この教団に人を導いて、その人は幸せなのか?

確かに、心の苦痛を受け止めてくれる場所があるので、精神的には満足かもしれない。

この場所で、傷を癒せる人もいるだろう。

救われたと感じる人もいるだろう。

だけど、社会的に輝くために必要な、お金や時間を吸い上げるこの組織に依存させるのって、本当にそれでいいのか?

よくない。

いいはずがない。

だって、誰よりも幸福を目指し、信仰に捧げてきた、この僕が幸せじゃないんだから。

人は、「精神性」だけでは幸せにはなれない。

現実世界でしか味わえない楽しみを否定する必要はどこにもない。

むしろ、人生の価値の一つとすら言えるだろう。

精神面の豊かさと、物質的な豊さ。

それを兼ね備えることが、人の幸せなんじゃないか。

そう、この地上にに絶対永遠の幸福などは、ないのだと。

じゃあ、僕のしてきたことって、なんなんだろう。

僕は、気づいてしまいました。

僕は、本当は人を洗脳して、多くの人から「神様」と崇められるような生き方がしたかったんじゃない。

ただ、目の前の人に、大切な人生を幸せに、楽しく生きて欲しかったんだって。

そして、僕自身が本当は一人間として、人間に生まれた喜びと試練を精一杯経験して、幸せを目指して生きていきたいんだって。

人を洗脳する立場になってみて、全国千人単位の人に、「聖なる特別な言葉」を発する立場になった時、僕は初めて、気づいたのです。

「ああ。僕も、洗脳されてたんだな」

と。

青春の終わり。「お金を稼ごう」と決めた日の事。

18 3 - 人心掌握と権力闘争の日々

もう一つ、教団脱出を決意した理由があります。

教団時代、僕には大切な人がいました。

命を賭けても救いたいと呼べるほと、たとえ地獄に落ちても助けたいと思えるほどに、とてもとても大事な人でした。

仕事のストレスや、愛情に飢えて育ってきたその人を救うために、ありったけの言葉を重ねて向き合う日々。

だけど、その人に寄り添える時間も、その人の生活を支えるお金も、何より、その人と一緒に生きていくという宗教的自由がありませんでした。

僕にできたのは、精一杯の愛情を込めて、言葉を伝えることだけだった。

本当は、一緒に生きていきたい。

魂の片割れなんじゃないかと思うほどに、大好きな人でした。

教団への矛盾、ただ一人の人を想う人間的感情。

様々な感情が積もり募った結果、僕は、憧れていた「神様役」という教団での生き方を捨てることにしました。

そして、人間として、ちゃんと幸せを掴もうと決めたのです。

次こそは、精神的自由も、経済的自由も、時間的自由も、全てを手に入れてみせる。

何より、今度はいかなる組織や勢力にも属さず、自分一人の力で独立し、完全な自由意志のもとに、目の前の人の幸せに尽くすような生き方をしたい。

「人を動かす言葉」ではなく「人を輝かせる言葉」を語る生き方をしたい。

宗教団体の権力構造という歪な上下関係ではなく、対等で誠実な人間同士の関係として。

だから、一日でも早く、教団を出ないといけない。

そのために、何よりも、金がいる。

その時の僕は、強烈なまでに「自覚度」が高かったのです。

「お金を稼げないと、自分の人生は、始められない。

本当に救いたい人を、望ましい形で救うことなんて、できない」と。

僕は、教団のノートパソコンを開きました。

そして、今まで教団の布教活動に使ってきたWebマーケティングの知識と戦略を使い、「お金を稼ぐ」ということを決意しました。

それが、ネットビジネスという世界へ身を投じた時のお話です。

ずぶの入門者が、ブログ立ち上げ4ヶ月で300万を稼いで気付いた世界の秘密

25 4 - 人心掌握と権力闘争の日々

初めて成果を出した、当時の経験から、私は断言できるのです。

ビジネスの成功において(というかどのジャンルの成功でも)何より必要なのは自覚度であると。

これは、ノウハウよりも遥かに重要な要素です。

というのも、僕が実践したビジネスモデルは、もうネットビジネスの中で一番単純と言っていいくらい、この上なくシンプルなノウハウでした。

アクセスの集まるブログを作り、Googleアドセンスという広告を掲載し、クリックされたらお金が入る。

これを俗に、「アドセンスアフィリエイト」と言います。

ネットサーフィンをしている途中に、広告などが入っているのを、一度ならず目にしたことがあると思います。

僕は、そういう広告に人を集めることでお金を稼ぎました。

こういうビジネスモデルは別に僕が考案したわけでもなく、むしろ「初心者向けの副業」として知られている、有名な手法です。

そして、その稼ぎ方においては、大体「半年間続けて月収10万円達成したら成功!」という感じの規模が目安です。(もちろん個人差はあります)

その世界において、僕は、開始2ヶ月で100万PVを集めるブログを立ち上げました。

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利益ベースでいうと初月から10万円、2ヶ月目には月収50万円を稼ぐことに成功しました。

もし、このアドセンスアフィリエイトを知っている、あるいは実践したことがある方ならば、このスピード感がどれほどに「イカれてる」かわかるはずです。

というか業界前人未到の数字なので、「信じない」と言われるでしょう。

実際、僕自身が、僕より早くこの規模の結果を出した人を全く知りません。

しかし事実として、ブログの新規立ち上げから、サーバー・ドメイン代以外のお金の力など一切使わず、ただWebの知識とライティング一本で、2ヶ月で100万PVを集めるブログを作ったのです。

そんなある種の「異常」な結果を生むことが出来た理由こそが、まさに「自覚度」でした。

成功には自覚度を高めることが不可欠。そう断言できる根拠

11 - 人心掌握と権力闘争の日々

なぜ僕は、初月から10万稼ぎ、2ヶ月で月収50万達成することが出来たのか。

その理由は、まさに「自覚」です。

僕は、一日でも早く教団から脱出するために、「4倍速で成功する」と「自覚」しました。

「一分一秒の時間、自分の心を燃え上がらせ、自分の人生を加速させる、そんな生き方がしたい」

それを決めていた僕は、こう考えました。

「成功するケースを知り、成功パターンの4倍量で実践していく。そうすれば、その4倍速で成功できる」

そして、そんなシンプルすぎる発想を、なんの捻りもなく、「そのまま」実践します。

一日1記事から始めよう、と言われているなら、自分は4記事書く。

一日3記事書けたら上等、と言われているならば、自分は意地でも12記事書く。

1記事60分かかるなら、それを15分で書くにはどうすればよいか?

1記事15分になったが、より短縮する方法はないか?

そして、教団の目を盗みながら、多忙な出張の中でも隙間時間を縫ってパソコンを開き、実際にコミットした通りの実践と試行錯誤を続けていきました。

うまく収益化していくための、独自のノウハウを編みだすことにも成功しました。

収益化初月にして月収10万円を達成、2ヶ月目にして月収で50万円を稼ぎ、4ヶ月目にはそれをサイトごと売却。

結果として、そのブログ一つから4ヶ月で上がった利益を累算すると、300万円を超えていました。

この時の原体験から、僕は自覚度の絶対的重要性を確信するに至りました。

自覚度の力

20 2 - 人心掌握と権力闘争の日々

なぜ私が自覚度という概念をここまで重要視するかというと、実際にこの「自覚度を上げる」という考え方に沿って日々を送るだけで、見える景色も生き方も全て変わるからです。

なぜなら、人の生き方を変えるのは「行動」と「言動」と「思考」から成り立つものです。

その「行動」と「言動」と「思考」の根源にあたるものが「自覚」だからです。

例えば、太った体型に悩む高校生がここにいるとします。

彼(彼女)は、日々の惰性でポテトチップスを食べてしまい、ダイエットがうまくいかない。

これは、自覚度が低い故の失敗です。

「なぜポテチを食べようと思うのか」「なぜポテチを食べているのか」「今の自分は何を目標に生活しているのか」という、自分自身への自問自答がないままに、まさに「無自覚」な行動習慣を変えられない…

このように、私たちが、自分の思い通りになれない時、そこには必ず無自覚な領域(自覚度の低さ)があります。

・副業で稼げるようになりたいけど、何に挑戦しても続かず、結果を出せないままで終わる。

・恋人が欲しいけど、拒絶されて傷つくのが怖くて、異性にアプローチできない。

・合格志望の大学があるのに、ついネットサーフィンをしてしまい、勉強時間が減っている。

これら問題の原因は、実はたった一つです。

それこそが、まさに「自覚度の低さ」です。

自覚度が低いということは、「無自覚に行動している」ということです。

そのために、自分の挑戦がうまくいかない「原因」に対して無自覚であり、結果いつもうまくいかないという結末に終わってしまうのです。

自覚度を上げることで、彼らがうまくいかない原因を彼ら自身に認識させることができます。

・恋人が欲しいけど、拒絶されて傷つくのが怖くて、異性にアプローチできない。

→自分を守りたいという臆病さこそが、人とのコミュニケーションを妨げているという「自覚度」が低いから、臆病な自分を変えられない。

・副業で稼げるようになりたいけど、何に挑戦しても続かず、結果を出せないままで終わる。

→何がなんでも稼ぐという動機への「自覚」が弱く、継続力を失うことで結果が出ないままに終わるという失敗パターンへの「自覚度」が低い。

合格志望の大学があるのに、ついネットサーフィンをしてしまい、勉強時間が減っている。

→無意識にネットブラウザを開く時、「なんのために自分は今ネットを見る必要があるのか」と自分の行動を自覚するための自問自答が全くないことで、無自覚の行動(ネットサーフィン)を優先し、目標達成のための努力(受験勉強)ができなくなっている。

しかし、自覚度を上げることによって、まるで宵闇に包まれた世界に日が登るかの如く、私たちは現象の実態をありのままに見ることができるようになります。

・自分は何がしたいのか

・なぜ自分はうまくいかないのか

・自分のうまくいかない部分を対策するにはどうするべきか

こういった問いに対して、正確に回答することができるようになるのです。

例として、私の以前の生徒が、自分で「自覚」した答えを並べます。

・副業で稼げるようになりたいけど、何に挑戦しても続かず、結果を出せないままで終わる。

自分は何がしたいのか→一人でお金を稼げるようになりたい

なぜ自分はうまくいかないのか→継続力の無さによって、結果が出る前に投げ出してしまう

自分のうまくいかない部分を対策するにはどうするべきか→自分の継続力の無さこそが、失敗パターンの連続を生んでいることを自覚し、このパターンをひきずったままだと一生結果が出ない人生で終わるという危機的状況を自覚しながら作業に取り組む。

・恋人が欲しいけど、拒絶されて傷つくのが怖くて、異性にアプローチできない。

自分は何がしたいのか→素敵な異性と恋人になり、幸せな関係を築きたい

なぜ自分はうまくいかないのか→拒絶されて傷つくのが怖いという感情で緊張してしまい、自分のことを表現できず、深い関係を築けない

自分のうまくいかない部分を対策するにはどうするべきか→人から嫌われないようにすることと、人と本質的なコミュニケーションを取ることを分けて考える。自分を表現する練習だという自覚を持って自己開示し、その上で自分の要素を受け入れてくれる相手を探す、という意識で様々な異性とデートしていく。

・合格志望の大学があるのに、ついネットサーフィンをしてしまい、勉強時間が減っている。

自分は何がしたいのか→志望の大学に入って、憧れのキャンパスライフを送りたい

なぜ自分はうまくいかないのか→努力して受験勉強するモチベーションを保つより、ネットサーフィンをダラダラ続ける時間の方が楽だと思っている。怠惰さに負けている状態。

自分のうまくいかない部分を対策するにはどうするべきか→まさにこの「楽をしたい」と思う感情こそが、自分の願った人生の足枷になってきたということを強く強く自覚する。(楽をしたい=願いが遠ざかる、と認識する)そして、「楽したい」という本能的欲求に闘うんだという自覚を持って、勉強に取り組むと見立てて努力する。

これらの具体例のように、自覚度を高めるという本質的な意識の変化こそが、行動や時間の使い方そのものを見直すきっかけになります。

すると、私の生徒たちの過ごす一日24時間の使い方が、自然と明確な目的のために最適化され、日々の効率や生産性は劇的に上がります。

だからこそ、自覚度を高めることで、毎日の過ごし方が「本質的に」変わり、人が成功者になるために必要な期間は、劇的に早まるのです。

私個人の成功体験のみならず、千人単位の人生データをベースに、私の断言する主張です。

なぜならば、この現代において、「成功する」という結果を出すのは、(自覚度を高めることさえできれば)実はさほど難しいことではありません。

というのも、この現代において、学業・恋愛・ビジネスにおいても「ノウハウ」というものはインターネットを通じてシェアされているからです。

僕たちは専門家たちが情報発信する様々な知識や情報に、無料でアクセスできる時代に生きています。

・会社にバレずにブログでお金を稼ぐ方法

・異性と出会い、デートして関係を構築し、理想のパートナーと結ばれる方法

・集中力・記憶力を高めて、受験で合格する方法

・説得力のある営業スキルを身につけて、営業成績を上げる方法

そういったものが、Youtube、Twitter、インスタグラム、Note、ありとあらゆる媒体に溢れかえっています。

つまるところ、今この世界には「方法論」で溢れかえっています。

実際に成果を出した人が、その方法論を公開する時代であり、「正解」と呼べるような良質なコンテンツに無尽蔵に触れることができる。

実際に、そうしたコンテンツの内容を実践して、結果を出せる人も少なくない。

私も、成果を出すと決めた分野(ビジネス・恋愛・営業)などでは、客観的にも納得される成果を、そつなく出すことができたタイプの人間です。

しかし、昔からそうだったわけではありません。

むしろ、僕は「落ちこぼれ」というタイプの人間でした。

ですが私は、自覚度を上げてビジネスに参入したことで、前人未到の収益記録を上げられるような人間になりました。

人生を本気で変えるなら、絶対的自覚度を持つこと

25 2 - 人心掌握と権力闘争の日々

当時の成功は、ビジネスの規模としては小さなものかもしれません。

とはいえ、それを、史上最速で結果を掴むことができた理由は、やはり「自覚度」なのです。

「ここで稼がなきゃ死ぬ」

「ここで稼いで自分の人生を始めることになっている」

「人の4倍速で成功してみせる」

という、「絶対的自覚」があったからです。

その絶対的自覚があったからこそ

・成功パターンの4倍速で実践すると決意し、それを実行する

・どうしたら業界の常識や天井をぶち壊せるか真剣に挑戦する

・いかにライバルよりも早く強く大きく稼ぐか絶えず模索する

という、凡庸な僕でありながら、非凡な行動が取れたのです。

ですが、何度も言うように、これは「僕の力」ではなく「自覚度を上げた効果」です。

ゆえに、この意識状態は誰にでも再現できるものです。

「絶対に最短最速で稼ぐ」ということに対して、僕は身口意を100%捧げた。

その結果が出たに過ぎません。

そして、これが成功者の生き方のエッセンスに通ずるものなのだと、僕は確信を掴みました。

僕が、宗教に身を投じるきっかけであった答えを、この時見つけることが出来ました。

僕の抱いていた、人生に対する願望とはこういうものでした。

「何者かになりたい」

「人生を賭けてもいいと思えるくらい大切な、何かをしたい」

「毎日を情熱的に生きている人々に対して、強烈に憧れてしまう」

「心の底から、今死んでもいいと思えるくらい、人生を楽しんでみたい」

「自分は、夢中になれる何かを見つけられていない」

「こんな自分のままで、笑って死ねるものか」

じゃあ、「本当の自分」ってなんなのだろう。

そんな、人間ならば誰しも一度は思うであろう、普遍的な疑問に対する解答こそが、「自覚度を上げる」ことです。

(この答え一つを見つけるのに、僕は8年という歳月と、およそ600万ほどの私財を費やすことになりました)

自覚度を上げることで、自分の情熱を捧げられるものや、絶対的な目的意識というものを手に入れることが出来ます。

その結果として、脇目も降らずに努力できるようになり、思考が冴え渡り潜在意識が完全に開き、自分という全存在全能力をかけて目標にコミットできる。

ならば、平凡な意識で努力している人をはるかに凌駕する結果を出せるのは、単なる必然に過ぎないということです。

言うなれば、この世に生きる大半以上の人は、みんな自覚度が低い状態で、雑念や不安や迷いの中でフルパワーを出せず、挫折してしまうからです。

だからこそ相対的に、自覚度の高い人が、圧倒的に高い意識で行動し、際立つような成果を出し、成功者になっていく。

この世は、実はそんなふうにできています。

だからこそ、「上手くいく感覚」「成功する感覚」である「高い自覚度」を有する人々は、多少ジャンルが変わろうが、どの分野でもそれなりに成功し、満足な成果を収めることができるわけです。

(実際、一流アスリートが引退後おもむろに起業し、そのまま成功して経営者として上り詰めていく姿などは、まさにそれを表しています)

現に、ブログに記事を書き、数十万単位のアクセスや人々の流れを指先一つで動かしながら、僕は頭の裏側では決めていました。

稼げなかったら、もう首くくろう、と。

そんな意識で文字通り、命をかけて挑み、業界前人未到の結果を出すことが出来ました。

この思考をビジネス指導の現場にも使うからこそ、私の生徒は結果が出せるというわけです。

この時に私は、「成功」というものの感覚を、まるでその手触りを感じ取れるほどに、はっきりと掴むことが出来ました。

そしてこの感覚は、300万円という現金より遥かに大きな「無形の財産」として、私の心に残り続けることとなります。

その自覚度が高い感覚をキープしたまま、情報発信を始めたことで、ビジネスモデルを変更しても起業初年度で年収1000万を超え、さらに教え子を年収1000万に引き上げることができました。

(その時の話も、この後でしようと思います)

「人を救うこの人生を、精一杯楽しむ」という約束した日の話

20 8 - 人心掌握と権力闘争の日々

僕は、教団の去り際、残していく大切な人にメッセージを伝えました。

「今までありがとう。これから僕も頑張る。

これから沢山の人を救っていく、この人生を精一杯に楽しむよ」

その人は、心から祝福してくれました。

そして、その約束は、こうして起業論を語る立場になった今でも、佳き思い出として僕の心の中に残っています。

僕は人生を前に進めることにしました。

ここまで僕が、8年間、ある教団で過ごしたの宗教生活のお話です。

そして、起業家として生きる1年目が始まりました。

もう僕には友達もなく、仲間をすべて失い、手元にあったのは、自分のビジネスだけでした。

人生を楽しもう。

そう決めた僕は、一生涯遊んで暮らせるような、お金が入り続ける仕組みを作りたいと考えました。

「さあ、前に進もう」

第三話に続く。