こちらの記事の続きとなります。

絶食入院中のベッドの上で自分と向き合う日々

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人生において、一番大切なことは自己を発見することである。
そのためには、時には一人きりで静かに考える時間が必要だ。

フリチョフ・ナンセン(ノルウェーの科学者 探検家 政治家 ノーベル平和賞受賞者 1861〜1930)

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左手前腕に24時間刺さりっぱなしの点滴の針をいたわりつつ、ノートパソコンと向き合い、自問自答する日々。

病院は、何の刺激もイベントもない、本当に静かな場所でした。

日常の雑事やノイズから解放された、なにもないその場所では、時の流れと意識の速度が交差します。

苦痛や不安、恐怖に苛まれているときは、時の流れはゆっくりと進みます。

逆に、穏やかなエネルギーで心が満たされているときは、知らぬ間に数時間が過ぎ去っています。

そんな不思議な空間の中で、僕は自分と向き合う時間を数年ぶりに持てました。

病院の白い天井や壁、医薬品のかすかな匂いを嗅ぎながら「ああ、僕が死ぬ前に見る景色は、こんな感じなんだろうな」と思います。

病院は、いわば生と死の臨界点。

あえて言うならば、「自分が死ぬときの模擬試験」を受けているような気分になるのです。

「このまま死んだら、どうだろうか?」

そんな問が、頭の中に何度も反芻(はんすう)されます。

その刺激は、まさに、僕が本当に必要としていたものでした。

こういう場所だからこそ僕は、「メメント・モリ(「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」)」という真理に立ち返ることができました。

8年の修業でもたどり着けなかった答え。人が生まれ、死にゆく意味をようやく悟る。

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僕は、確信しました。

「あ、このまま人生を惰性で続けてたら、必ず後悔する」と。

自分の心の在り方や本質的な欲求に蓋をして、自分の心の声を自覚しないようにしたまま生きるなら、死の瞬間、それはとてつもない後悔へと変わるのです。

それを表したのが、看護師として数多くの死を看取ってきたブロニー・ウェアの提唱する、「死の5つの後悔」です。

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(このお話は26カ国で翻訳され、世界中で読まれています)

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”死を目の前にした人の後悔は、大枠として「死ぬ瞬間の5つの後悔」にまとめられるという。そして、根本の原因は自分の本心に向き合わなかったことにある。

(1)「死ぬ瞬間の5つの後悔」は、「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せをあきらめなければよかった」である。

(2)もしも死の間際になって、自分の人生を後悔したとしても、ありのままの自分を受け入れ、許すことで、心の平安を手に入れられる。

(3)後悔しない人生を歩くためには、自分の心に正直に生き、すべての幸福に感謝することが大事である。

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(『死ぬ瞬間の5つの後悔』ブロニー・ウェア著)

僕は実際に死んだわけではないですが、病床のベッドの上で、この後悔の重量感をありありと感じました。

いざ死を迎えるその日、自分の人生を振り返る時。

自分の身口意(行動・発言・発想)の集積である人生の中で、本心を無視する、という自覚度が低い振る舞いに対して、僕たちは後々途方もなく悔やむことになります。

僕は、この「死の模擬試験」を経験することで、ある一つの悟りを得ました。

それは、こういうものです。

「人生とは、自覚度0%から『オギャー』と始まって、死という自覚度100%の瞬間に至る旅のことだ」

と。

私達の人生は、自覚度100%を目指す旅路

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赤ん坊の時、僕たちは「自覚」も何もありません。

わけも分からずお腹が空き、わけも分からず泣き、その理由すらもわかりません。

これが自覚度0%の状態からスタートする、という意味です。

それから成長し、生きていくなかで、自我が芽生えます。

様々なイベントや環境に翻弄されながらも、アイデンティティを構築(=自覚度が上がる)して、自分なりに生きていこうとします。

そして人生の最後には、絶対的終局である「死」をリアルに感じるからこそ、今までの「人生」の記憶が異常なリアリティを伴って、意識の中に立ち現れます。

いわばそれは、僕たちが強制的に自覚度100%に引き上げられる「審判の時」です。

そこで僕たちは、今までの人生の中で見過ごしてきた様々な「無自覚だった本心」を「自覚」します。

そして、多くの人は、こういった思いを「自覚」するということです。

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「自分に正直な人生を生きればよかった」

「働きすぎなければよかった」

「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」

「友人と連絡を取り続ければよかった」

「幸せをあきらめなければよかった」

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戦後日本を代表する、文化勲章を授与された大作家、井上靖は、晩年こう語りました。

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人生がたった一年しか残されていないんなら、おれは本当に妥協なく生きてみたい。本当に会いたい人に会いたい。本当に話したい人と話したい。本当にやりたいことをやりたい。本当に行きたいと思うところへ行きたい。本当に見たいと思うものを見たい。一体、自分はこれまで何をしていただろう。

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彼ほどの偉大な自己実現をなした人物すらそう思うのです。

ましていわんや、周りの顔色を伺い、夢を妥協する多くの人々の経験する「後悔」とは、どれほど大きく、重いものなのでしょうか?

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「ほんとうの自分であること」はたやすいと思っているかもしれない。だが、それは人生で一番の難題だ。決して実現できないかもしれない。

ニール・ドナルド・ウォッシュ(『神との対話』シリーズの著者)

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死をリアルに前にした時、僕たちの意識は強制的に自覚度100%に引き上げられ、今までの人生での「無自覚にしていた領域」(本心の無視)に対して、その後悔を精算する日が来ます。

それが死というイベントの真相です。

だからこそ、僕ははっきりと分かりました。

死を克服する生き方

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死の恐怖を克服し、死の恐怖から僕たちが自由になる方法。

それは、生きている間に、どれだけ「自覚度100%」の状態に近づけるかというテーマに挑戦することです。

自覚度の高い生き方をして、自分の本心に何一つ嘘をつくことなく挑戦し、やり抜いて燃焼し、それがどんな結果でも受け入れることができたなら、死とは、恐れるに足りません。

まるで映画のラストシーンで、偉大な人物が死を迎えるときのように、ただベッドの上で、安らかに眠りにつくかのような満ち足りた心地で死を迎えることができます。

そのために、僕たちは最終的に自覚度100%に至る瞬間を迎えるときのために、この生命活動を行っています。

今あなたが頑張っているのが、人間関係でも、ビジネスでも、恋愛でも、就職活動でも、あらゆるジャンルを問いません。

僕たちはあらゆる生命活動のなかで、「自覚度を上げる」という、人生に隠された最大のテーマに挑戦しているのです。

他の何者かではなく、自分自身であるために努力しなさい。あなた自身であること、あなたがなれるものになること、それが幸福な人生の秘訣である。

オグ・マンディーノ
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僕たちが自覚度を高め、「自分自身」であるためにするあらゆる努力を尽くしたならば、その最大の果報として、高い自覚度で必死に生きたという満足感とともに、自分の人生の思い出と自分自身の全存在を抱きしめながら、死が訪れるのを安らかに迎えることができます。

「自分は、このために生きた」

「自分は、このために生まれてきた」

それを悟り、思い残すことなく死を迎えられるのは、高い自覚度で人生を真剣に生きた人です。

…さて。

ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。

ここで今一度心を込めて、大事な話をします。

今、あなたの中には満たされない欲求や、果たされていない願いがあるかもしれません。

その「欠乏」はあなたに「痛み」を与え続けているかもしれません。

しかし、その痛みを直視し、向き合うことは、あなたの自覚度をあげます。

私たちの人生は、自覚度0%から始まり、肉体を捨て、自覚度100%となる最期の瞬間に進んでいきます。

それは「順調」なプロセスです。

そこで起きる「喜怒哀楽」は全て自覚度を上げるためのプロセスです。

だから幸福なんです、というのは押し付けがましくお感じになるかもしれません。

でも、こんな文章をここまで読むあなたは、何かの思いを秘めているに違いありません。

だからあえて言わせていただきます。

あなたは順調ですよ、と。

息を吸って吐いて、歩いて悩んで苦しんでもがいて、幸せに気づいて、自分の心の在り方を見つけて、人生の意義が少しずつ見えてくる。

喜怒哀楽を経験しながら、何かを求めてもがき、成長を志す…そんな貴方の生きる姿は途方もなく美しく、誇るに値するのだと。

そして、僕はそれを伝え、物心両面の幸福に縁あった人々を導いていきたい。

そこまで気づいた時、僕がすべき、本当の意味でのライトワークの姿が、夜明けのような強烈な光とともに鮮明に浮き上がってきました。